真のアンチエイジングを考える
アンチエイジングは生きがいやライフスタイルの問題まで深く関わっています。
外見だけの若さだけではなく、内面、ライフスタイル、生きがいまで裾野を広げてこそ、真の意味でアンチエイジングが果たせます。
年齢とともに肉体が衰えていくのは避けられない宿命です。
その衰えを最小限にとどめるに越したことはありません。
しかしながら、外面的な若さにこだわるのではなく、人間的に成長していくことものアンチエイジングのテーマの一つです。
周囲を見回すと、50歳、60歳を過ぎても若々しく素敵な人はたくさんいます。
これらの人たちは、たいてい人生に目標を持ち、自分の好きなことを楽しみ、自らの成長を喜びとして日々を過ごしています。
昨日より今日、そして今日より明日の自分のほうが、より魅力的な人間になる − このことこそ真のアンチエイジングかもしれません。
人は日々成長することを楽しみに生きてこそ、若々しさが自然に身についてくるのではないでしょうか。
アンチエイジングは、決して体や顔などの外見だけでなく、自らが人間的に成長していく方法の一つなのです。
19世紀のアメリカの詩人ホイットマンは次のような詩を残しています。
女あり 二人行く
若さはうるわし
老いたるは なおうるわし
「若い女性はうるわしいが、歳をとった女性はさらに美しい」という内容の詩です。
これは何も女性に限ったことではなく、男性にも同様のことが言えるでしょう。
若い女性は化粧などしなくても、そのままの姿で美しいものです。
歳をとったシワクチャのおばあさんのほうが、若い女性に比べて美しいということは現実的にありえない話です。
この詩で表現されている「うるわし」は「麗し」と書きます。
「麗し」は、生まれながらに備わっている若い時期の美しさであり、老いたるはなお「うるわし」は「麗」の字があてはまりません。
「美しさ」の意味が異なっているのです。
歳をとった人のうるわしさは、漢字で書くと「美」になるのではないでしょうか。
では、「麗」と「美」の違いは何でしょうか。
「美」とは、時間をかけて一生懸命に物や人を大切に育てていった結果、得られる美しさです。
「美」は一朝一夕に得られるものではありません。
子供を一人前に育てるのと同様に時間を要するものなのです。
例えば、スッポン鍋という料理は土鍋に材料を入れて火力の強いコークスなどの炎で調理しますが、100年も続いているような老舗の土鍋は、長い間使用しているうちにスッポンそのものの味・風味が土鍋に染み込み、何の調味料も使わず、水を煮立たせただけでスッポンの風味が溶け出すほどだといいます。
いかに有名な陶芸家がつくった土鍋でも、いがに高価な土鍋でも、いま買ったばかりの土鍋よりも、代々使い込んで伝わってきたもののほうが価値がある、ということです。
何年にもわたって壊れないように大切に扱ってきた道具は、新品の道具よりも値打ちがあります。
人間の場合も同様のことが言えます。
白髪が増えて頭が白くなったからといって、それだけで人としての価値が上がるというものではありません。
60年も使ってきた土鍋であっても底がヒビ割れて水が漏れるようでは使い物にならず、単に古いだけのガラクタにしか過ぎません。
人間も同じで、不平不満だらけの人や愚痴ばかり言っているお年寄りがいますが、こうした人たちは「頭白きがゆえに尊からず」なのです。
自分という人間を大切にし、日々成長していく生き方を実践し、自分の人生を創り上げていくことが大切なのです。
肉体的成長と精神的成長を創っていくのが人生なのではないでしょうか。
人生を創るということは自分の顔を創ること、そして自分自身を大切にし、日々成長しながら創り上げてきた顔は、若い人よりもなおうるわしい、とホイットマンは讃えたのでしょう。
歳をとることは恐いことではなく、素敵な自分を創り上げることです。
1年ごとに素敵な人間になっていくと思えばいいのです。
そうなるためにも、健康に留意し、人から慕われ、人生に目標を持ち、日々努力を怠らないようにしたいものです。
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